知識と知恵

知識レベルで解決可能な問題と知恵が必要な問題がある。知恵というものは「知識を複数組み合わせた結果」得られるもののうち「目的に有効なもの」である。知恵を得るための材料としての知識は抽象化されていればいるほどよい。
私が問題の解決方法を聞かれた場合、知識レベルで解決可能な問題であれば、「ググれ」で済ます。問題なのは知恵が必要な問題だ。知恵が必要な問題とは「かつて誰も遭遇したことが無い問題」または「解決されたという情報が、アクセス可能な範囲に存在しない」問題だろう。
このうち「解決されたという情報がアクセス可能な範囲に存在しない」については、問題解決を行った結果を可能な限り「アクセスが可能な形で」記録しておくことで知識化できる*1。今の時代であれば、WEBサービス上に、発生した問題とその解決方法を記録しておくことが簡単かつ効率がいいだろう。しかし、問題というものは数限りなく存在するので、全く同一の問題でない限り、知識は参考になっても、答えにはならない。類似の問題に対応するために、発生した問題の解決プロセスを「問題と解決方法」に加えて記載しておくといいだろう。
かつて解決されたことが無い問題については、知恵なくして解決できない。知恵は複数の知識を組み合わせた結果得られるものであるが、必要な知識をもっていなければ、知恵は生まれない。知識はGoogleに聞けば教えてもらえる時代になった。しかしGoogleに教えてもらった知識を知恵に変えるためには、結びつける元の知識はすでに持っている必要がある。Googleで得れる知識は表層的な知識なので、組み合わせの相手の知識は高度なレベルで身に着けていなければ、組み合わせの有効性に気がつくことが困難であろう。

*1:およそ人間社会というのものは知恵を知識に変換し、その結果へのアクセスを広く公開することで発展してきた