人生で最大の閉塞感

今日は欝気味なので、なんというかもっともっと欝だったときを思い出して、相対的躁という状態を作り出そうと思う。

読まないように。

1999年を全然覚えていない。1999年はノストラダムスの大予言の対象の年で、普通に考えるとそんなことを意識して暮らしていそうだが、何ということか1999年にノストラダムスの大予言を思い出したのは10月になってからだった。
1998年右も左もわからない状態だった私は、3人で仕事をしていた。そして突然のリーダー格先輩の辞職、さらに突然の先輩の辞職というなかなかにピンチな状態に陥った。1999年はこの状態からはじまった。その後、人生のフォーマットがまったく異なる先輩とのコンビを組むようになった。2人だけの世界は個人的に耐え難いものだった。何度会社を辞めようと思ったかわからない。それでもやめなかったのはE課長やMさんといった人々のおかげであった。E課長は我が人生の最大の恩人といえるかもしれない。そのE課長*1が会社を辞め、また2人だけの世界になっていくことであるとき心が折れた。
自分がまったく価値無いもとのして扱われ、自信を全くなくしていた。萎縮がミスを生み、ミスが萎縮を生むという悪循環が発生し、出口の無いトンネルという表現がこれほど実感できることは無かった。そんな時、部署の移動を希望し、それはかなえられた。
移動した部署は非常に居心地がよかった。実は私が身につけているスキルはそれなりに価値あるものだとわかり、その価値を高めることに気を使えばよかった。それなりに自信も生まれ、余裕もできた。余裕はある程度ミスを減らす。
だが、かつて植えつけられた劣等感から私はいまだに自由になっていない。劣等感は強固に行動を縛ってくる。それがわかっているので劣等感を無視すべく無謀な行動に出たりする。そして無謀な行動の結果にうつになったりラジバンダリ。

とか書いていたら、なお一層気分が沈んでいく。「冬の井戸水は暖かく感じる」効果を狙ったが、「ブリザード中にカキ氷を食べる」行為だと判明した。マンマミーヤ

*1:E課長は2010年になくなられた。