使いこなすという呪縛

最近気になることが「使いこなせていない」という言葉だ。
例えば
・新しいスマホ買ったんだけど使いこなせてない
・XXっていう調理器具買ったんだけど使いこなせてない
等だ。

何をもって使いこなしていると思うのかは、人によって異なるだろうけれど、大体の場合「その製品の機能を十分に使う」ことが使いこなすということだろう。

基本的にほとんどすべての製品について、機能を十分に使うなんてことはできない。使いこなせるのは大体、「専門家」が「単機能」のものを使う場合だけだ。例えば日本料理の料理人は包丁の機能を十分につかえる。しかし、どんな料理人だって、一般家庭用の多機能電子ジャーを十分につかうことはないと思う。ほとんどの場合、どんなに多機能であっても炊飯にしか使用しない。パンだの発酵機能だのは使用しないのだ。

基本的に多機能な製品は「購入する人がその中の1機能以上を使用したい」のであれば、購入目的を満たしている。だから使いこなせている・いないというのは「自分の目的を達せられているか」だけが評価基準なのではないか。

最近Youtubeに、とあるお笑い芸人の「自作PCを購入する」という動画があがっていた。
①ゲーム(マインクラフト)配信用のPCが欲しい
②以前の配信で自分のゲーム画面だけカクついていた
③カクつかないPCを作りたい
という内容だった。

完成したPCは要望を5倍以上満たすようなPCであった*1。それについて閲覧者からこんなコメントがついていた。
・こんなPC使いこなせねーんだから無駄だ

しかし、自作PCの購入者にとっては上記①から③の条件を満たせれば、使いこなせているということでいいんじゃないだろうか。そもそも、何をもって使いこなせるといっているのだろうか。PCの性能を十分に発揮させるということであれば、現在の高スペックPCでそんなことができる人間は皆無だろう。

だから、使いこなせている使いこなせていないなんてことは気にせず、やりたいことが1つでもできればそれでいいんじゃないのかね?と思ったという話でした。

*1:14700K、4070 Ti SUPER、2TB SSD、64GBメモリ