感情と論理の戦い

変人とは感情と論理のバランスが論理側にある程度以上傾いた人を言うんじゃなかろうか。探偵ガリレオの湯川や、犀川&萌絵シリーズの犀川がどのくらい変人に見えるかどうかで、その人の感情と論理のバランスが測れそうだ。ちなみに個人的には2人とも全く変人ではなく、理想的な人間のように見える*1

みのもんたという人がいる。感情と論理のバランスが著しく感情に傾いた人だ。著書のタイトルにおいて、感情に傾いていることを宣言もしている。彼が社長をやっている会社は談合を繰り返しているが、これは彼が感情に傾いていることの傍証と言えるだろう。また、報道者でありながらCMに出ているが、彼ほど稼いでいる人物がCMに出るのは、金儲けのためとは考えづらい。おそらくは義理で出ているのだろう。人間としては合格かも知れないが、報道者としては失格だろう。感情側に傾いた人は必ず公平性を欠いた発言を行うからだ。

好悪を判断の基準にするのは、人間であればある程度当然のことである。しかし、それを恥じないことや、公言してはばからないのは最低の行為だ。差別とは好悪を判断の基準にすることから始まり、それを省みないことで増幅される。韓国辺りの犬食や日本の鯨食を公然と非難するような精神と、人種差別は同根であってそれが許容される社会は恐ろしい。

血液型別性格診断という暴力がある。「肌の色によって能力が異なる」程度に嘘であり暴力だ。私はこの暴力からある程度逃れることが出来ている*2が、逃れられない人にとっては苦痛以外の何者でもないだろう。疑似科学は感情に近い場所にあるため、受け入れられやすい。受け入れられやすいということは、一度ひろまってしまうと、それを否定しきることは不可能となる。

感情的に受け入れやすいように加工された報道は非常に危険である。感情のスコープはPrivateであるべきであって、Publicであってはならないのだ。

*1:ちなみに最も理想的な創作上の人物は「エスパー魔美」における高畑さんだ

*2:何故なら自分の血液型を知らないし知りたくもないから