オオカミがきたぞ

危険度がわからない時点で警告的な報道を行うのがマスメディアの責務であるなら、危険度が確定した時点でその危険度を大々的に報じるべきもマスメディアの責務だろう。
大雨警報が、雨が落ち着いた時点で解除されるのは、警告を出した状態が社会にとって高コストな状態であるからだろう。同様に、警告した内容には実はたいした危険度が無いことがわかったら、危険度が無いことを報道しなければ、状況に釣り合わない高コストが継続することになる。残念ながら、報道が社会に与えたコストが、高ければ高いほどマスメディアは儲かることになっているので、警告は出しっぱなしで回収されない。状態とコストが見合っていようが知ったことではない。
ハリボテのオオカミが来た。村人は恐怖で逃げ回った。すべきことはハリボテだということを村人に伝えることと、なんでそんなハリボテのオオカミが現れたのか調査することだろう。いまマスメディアが行っているのは、オオカミの現れた原因の調査だけで、オオカミの正体にはふれていない。
挙げ句の果てには責任者が「オオカミの正体はハリボテ」だったと公表した事について、「ハリボテとかそういう問題じゃない」とか「本当にハリボテなのか」といった追求を行っただけであった。まあ責任者は「オオカミが出たことの責任者」を兼ねていたわけだから、そのような追求は行われるべきであるが、ハリボテなのかどうかなんて少し調べりゃわかることなんだから、追求だけしてないで自ら正しい調査を行って報道すればいいじゃないか。