プライベートな感情とパブリックな発言

ネガティブなニュースに「個人的にネガティブな感情を持っている事象」を結びつけて、パブリックな場で発信するという手法がよく用いられる。
この手法は人間というフォーマットが持っている特性に根付いて無意識に使用されるため、使用した本人がこの手法を使用したことを反省することはまずない。また、少なくともこの手法を用いたことをプライベートに非難されることがあっても、パブリックに非難されることは、かつてそれほど発生しなかった。
この手法には致命的な問題がある。「個人的にネガティブな感情を持っている事象」が、ネガティブなニュースと結びついているのかどうかは、そのニュースを発生させた当事者にしかわからないことである。また、「個人的にネガティブな感情を持っている事象」は、すべての人に共通してネガティブな事象ではない。

似非科学に近い。科学が感情をもっているように振る舞うことを期待する人々は、自らの感情があらゆる価値の絶対的な基準であることを疑わない。

近年、無名な個人がパブリックな意見を発信することについてのハードルが非常に下がった。よってこの手法についての非難もパブリックに行われている。この非難の発生場所は主に「個人的にポジティブな感情を持っている」人々だ。まだそれほど非難の声は大きくないが、今後大きくなっていくことが予想される。発言というものは記録されて残って行くものだ。その記録頻度は発言力に比例する。自らがこの手法を無意識に使用していないか、発言力のある人々は注意した方がいいだろう。