マクドナルドとunix

マクドナルドがメニューをレジカウンタから撤去したことについて、発想がunixライクだなと思った。unixライクな考え方とは、「ユーザは能動的である」という考え方、逆にMacWindowsは「ユーザは受動的である」という考え方をしているように思う。
Windowsユーザがunixにふれると、「何て不親切なんだ」と感じる。unixユーザがWindowsにふれると、「お節介で小回りがきかない」と感じる。unixは使用するときに、unixの経験を要求し、WindowsはそれほどWindowsの経験を要求しない。もちろん入りやすいのはWindowsだが、入りやすさ、使いやすさのために、多くのコストを費やしている。製造のためや、インターフェースを表現するためのコストだ。GUIのコストは当然CUIのコストより圧倒的に大きい。
マクドナルドは、GUIをやめてCUIに変更した。GUIとはレジ横のメニューを指差すことで、CUIは「欲しいものの名前を読んで、記憶して、発声すること」だ。当然、今までのGUIのコストをカットするためだろう。それは個人的には良いとも悪いとも感じない。企業というのは、利益を出すために存在するのだから、コストカットによる利益増大化は極めて当然の策だ。
まあ、そのために「読めない、記憶できない、発声できない」ユーザを切り捨てた、ということも経営判断としてはありなんじゃないだろうか。倫理的な判断がどうかわからないが。
結論としては、マクドナルドは、コスト削減のために「能動的で、日本語が読め、自分が欲しいものを記憶でき、発声できる」ユーザを対象顧客としてしぼりこんだ、と言えるんじゃないだろうか。
めんどくさいと思った顧客に対してのセットメニューへの誘導が目的でないのであれば。