スパスパはひどかった

誤っているが一般化されてしまった科学(以下「疑似科学」)について、それを否定する為には多大なコストを必要とする。

そのような疑似科学は、
1)利益を得るために意図的に流されたものが多い
2)一般化されてから時間がたつほど、それによって利益を得る存在が増える
3)人は触れる機会が多い情報ほど信用しやすい
4)反証が事実上不可能である場合が多い
5)皮膚感覚に合致するものが多い
というような特徴のうち複数を持っている。

一般的な例としてはセルライトマイナスイオン血液型性格判断、酸性血、ドロドロ血、人類は月に行っていない等があげられるだろう。情報の媒介者としては「発/掘あるあ/る大辞/典」等の民放系健康番組が代表例である(その意味において「発/掘あるあ/る大辞/典」は現在この世で最悪且つ醜悪な番組のひとつ)。

さて、疑似科学については近年対抗する論調が増えているが、得てして効果が薄い。その理由は上記特徴3)4)5)によって「信仰」を伴うからである。たとえ血液型別性格判断を理性によって誤りであるとわかっていても、信仰がその理性を拒絶する。大多数の人間が霊というものの存在を否定しきれないのと同じ理由である。

人は信仰方面に鈍感(または盲目)になり、反論を拒絶する。

大部分の科学者は直感等の人間の感覚が当てにならないことを知っているが(古くは地球が球形であること、相対性理論量子論は直感に合致しない)一般的にそこまでの客観性を自分自身にもてるものではない。

似非科学にローコストで対抗する手段は、それが広まる前に否定することではないか。広まってしまってからでは遅いのだ。

という意味において、堺正章みのもんたの罪は社会に与えるコストという意味で果てしなく重い。無知とは時に罪だ。