既得権益

技術屋として日々仕事をしていく中で、既得権益ほど恐ろしいものは無いと漠然と思ってきた。人は既得権益が大きければ大きいほど努力しなくなるように思われる*1
たとえば交通量の多い観光地道路沿いの飲食店だ。この場合の既得権益は交通量が多いということと観光地ということだ。だが、その道路は永久に交通量が多いとは限らない。もっと便利な道ができれば、交通量は大幅に減少するだろう。このとき飲食店の店主が行うべきことは、交通量に極力依存しない飲食店に育てるか、交通量の見込める場所に店を移動させるかだ。決して便利な道を造ることへの反対運動ではない。
仕事柄工場の城下町によく行く。その工場の食堂は、価格は安いがお世辞にもレベルが高いとは言えず、工場の城下町の飲食店はそれなりに潤ってきた。だが、ある時劇的に工場の食堂のレベルが上がり、工場の城下町の飲食店は閑古鳥が鳴くようになった。工場の城下町の飲食店がとっておくべき戦略はあったが、とるべき戦略は無い。
このように既得権益に根ざした仕事をそれが既得権益だと気づかずに大概の人が行っている。既得権益が無くなりそうになったときに、初めてそれが驚異脅威となる。しかし脅威が見えた時点では遅いのだ。
自分の仕事の既得権益は意識して洗い出し、それが無くなったときに備えておくべきだろう。ほとんどすべての既得権益など、法律一本、役所のきまぐれ、会社の思惑で跡形もなく無くなってしまう。
技術者であれば自社の技術だけにこだわるべきでない。その技術は本当に10年後も存在するのか?

*1:個人的に郵便局が嫌いな理由