談合

日本において談合がなくならないのは、談合こそ日本人の本質だからだ。談合とは、明文化されていない暗黙のルールのひとつであり暗黙のルールを破ることは、日本において大いなるタブーである。
このタブーを犯すことは、一般的に「空気が読めない」と表現され「空気が読めない奴」というのは蔑称として使用される。かほど左様に、暗黙のルールは絶大な効力を持っていた。
さて、ここ数年「あえて空気を読まない」が台頭しつつある。直近の例で言えば、島田伸助に殴られた吉本のマネージャー、ニッポン放送株を購入したライブドア社長、携帯800MHz帯への参入を訴えたソフトバンク社長、郵便局のダンピング価格小包を意見広告で牽制した、ヤマト運輸などが挙げられる。
日本的価値観からすれば、総スカンであってもおかしくないこれらの行動は、極端に否定されてもいないし、賞賛の声すら少なからず存在する。
個人的には全て賞賛したいところだ。賛否両論とも、著しい優勢は発生していない。これは何を意味しているか。ルールはめまぐるしく変わりつつあり、もはや、明文化されていない暗黙のルールはルールとして効力を持たなくなりつつあるのではないか。とか思った。