世の中に感動ほど恐ろしきものはなし

感動の物語がある。

感動の物語はそれを受け入れた時点で、自己の人格の一部になることが多い。

感動の物語の厄介なところは、感動の物語の内容に「非常に大きな何らかの問題がある」場合において、それを指摘したときに「人格を否定されたと受け取られる」可能性が高いことだ。人間には人格を否定されると、理性が働かなくなる傾向があるように思われる。理性が働かないので、指摘された大きな問題について考えることができなくなる。

感動したからと言って、その物語に問題がないとは限らない。むしろ、大きな問題を抱えた情報は、感動を隠れ蓑として、人格に浸透して来ようとする。

感動の情報は、それに触れてる回数と期間が長ければ長いほど、否定しづらくなる傾向があるようだ。だから、大きな問題を抱えた感動の物語が発生したら、全力でその問題を指摘するべきだろう。

乳がんは玄米じゃ治らない。