編集王と記録王、記録王の勝ち

田代まさし氏出所の話を耳にした。それをきっかけにこんな事をおもいだした。
田代まさし氏が捕まったとき、既に録画された「志村けんのバカ殿様」から、その番組に参加しているはずの田代まさし氏がモザイク処理等一切無しに消えた。希に聞こえる田代まさし氏の声と、数カ所映っていた体の部分がその存在を裏付けてはいたが、文字通り消えたのだ。
昔、「ダウンタウンのごっつええ感じ」という番組の「兄貴」というコント内で、松本人志氏扮する兄貴が「おまえの人生IMAGICAで編集したろか」という台詞を言っていた。ギャグとして秀逸だったが、田代まさし氏の人生のごく一部は「IMAGICA」によって実際に編集されている。
部分の切り抜きと並び替えによって、対象者の意図を無視した情報を作り出すことが、非常に簡単な世の中になっている。ニコニコ動画を見ればわかるように、既に映像の編集は素人にも十分可能だ。また、当事者の意図を無視した映像を作成することは、テレビ局の姿勢を見る限りにおいて、日本においては全く許されているように思われる。
一方ビデオカメラやボイスレコーダーなどの低価格化とYoutube等の台頭によって、意図を無視されたという反論を全世界にbroadcastすることも非常に容易になっている。実際に、先日発生した「麻生宅オフ」では、報道や警察がその独占的地位を利用して世論誘導を行う手法が、テクノロジによって限界に近づいていることを垣間見せた。
googleストリートビューが手法として許され、事故発生時に発生までの数十秒間の映像を保存してくれる自動車用の装置が存在し、気づかれない程度に小さいカメラが安価に製造され、更に非常に軽量なストレージが日々開発されているのを見るにつれ、人間が日常生活で見た映像が、24時間全て意識せずに記録できるような機器がまもなく登場することは火を見るよりも明らかだと思われる。このような装置が安価に提供され一般に広まったとき、警察官が日常的に行っている不法行為や、マスコミが行っている日常的な情報改変は是正せざるを得なくなるだろうし、一般市民の非常識な行動も是正されるだろう。
そんな社会は嫌だが、すぐそこに迫っている。実現するために「超えなければならない壁」は、技術的にも社会的にも既に存在しないのだ。