人間社会における位置エネルギー

善行や悪行は、その行為が人間社会にとって総合的にはプラスであるかマイナスであるかによって判断されるべきであると思う。絶対的な善悪なんぞ存在しないし、時代によっても変わっていく。
カルマという概念がある。人に累積されていくものであると一般的には認識されているが、実際にはその人に対して与えられた社会的な評価なのでは無いだろうか。
たとえば殺人は悪行とされている。人間を殺すことを許される社会とは、殺される可能性が極めて高い社会ということである。殺されたくないという思いが、圧倒的に多数である以上、殺人が悪行とされるのは当然のことである。
だが、人間より100倍程度高度な存在があったとして、その存在が生きるため、捕食目的における殺人は人間にとっては悪行だが、その存在にとっては悪行でも何でもないだろう。つまり善悪とは、人間社会においてのみ通用する概念である。
カルマとは、日頃の行為によってたまっていくものと解釈されている。それは人間社会における位置エネルギーを上げている(善行)か下げている(悪行)かということにたとえることが可能であると思う。そして、この位置エネルギーが算出できたとして、低ければ低いほど死にやすいと一般的には考えられている。因果応報というやつだ。殺人が起きると「(被害者は)何も悪いことをしていないのに。」という言葉が発せられるのは、このようなことが無意識に頭にあるからだろう。
だが、この位置エネルギーは圧倒的に低い(死刑に該当する)場合を除いて、死にやすさにあまり関係がない。圧倒的に位置エネルギーが高い場合も死にやすいだろうし、事故、天災、無差別殺人、戦争、病気などの要因は、善行と無関係に発生する。生きやすさには大いに関係するだろうが。
とかおもった。