継続的に頑張るということ

継続的に頑張れる人というのがいて、その人は継続的に頑張ることによって成長し、同時に成功したとする。この場合、成長は必然だろうけれど、成功は必然とは言い切れない。
成功は、才能というパラメーターと、運のよさというパラメーターに、依存する。
「遅筋比率が高い人は、どれだけ努力しても、100m走のランナーとして、成功出来ない」というのが、才能のパラメーターの例として、「成し遂げたことが、時代の要求にマッチした」というのが、運のパラメーターの例として、良く挙げられる。
個人的な意見としては、「頑張り続けた人が頑張り続けても壊れなかった」というのが運だと思う。そして、悲劇は「頑張り続けても壊れなかった」人が成功した場合に発生する。
「頑張り続けても壊れなかった」人が成功した場合、その因果関係は本人にとって「頑張りつづけた」⇒「成功した」であって、「頑張りつづけた」⇒「壊れなかった」⇒「成功した」ではない。だから、周りに「成功したいなら」「頑張り続けろ」と言うだろう。そして、成功していないものに「努力が足りない」というだろうし、「壊れてしまったもの」に「努力とは無関係だ」と言ってしまうだろう。
頑張り続けることを前提としたシステムは、マージンがないシステムで、マージンがないシステムは壊れやすい。マージンがないシステムが変化に出会った時、対応するためには強制的にマージンを作るほかなく、強制的なマージンとは無理によって作り出すもので、無理は何らかの「壊れ」を発現させる。しかし、「壊れ」の発現は、システムを作り上げたものには「頑張りが足りない」としか映らない。なぜなら「頑張れ」ば「成功する」のは自らの経験上自明であるから。

怖いのは

「自らが壊れてしまうことを想像もせずに超絶努力を重ね、壊れないまま成功してしまう人」
じゃないか、とか思ったりしたよ!