与えられた役割について

サラリーマンである限りにおいては、誰でも与えられた役割があって、その役割には向き不向きが当然のようにある。運よく、役割がその人に向いていれば、何も問題ないが、まあ100%一致した仕事なんてものは、ほぼないと言っても過言ではない以上、誰もが多少なりともやりたくない役割を果たさなければならない。

役割が与えられていたが、その役割に導かれることなく長い間ほぼ放置されていた後輩を去年引き取って、一緒に役割に向かって進んでみた。実は責任感が強くて、仕事が早く、それなりに理解力がある人材だということが判明した。しかし、放置されていた期間が長すぎたため、理解力に知識が追い付いていない。知識というのは、OUTPUTし、その結果をINPUTすることで初めて自分のものになる。このOUTPUTの場が与えられていなかったため、机上論はなんとなく知っているものの、知識がお互いに連携しておらず、非常にちぐはぐな状態であった。

立て直しを図ったものの、私自身のスキル不足と、時間の制約が大きかったため、不十分な状態で役割の提供を行わざるを得ず、その後輩のストレスは非常に大きかったであろう。また、今、その後輩の役割が、社内に置いて非常に重要視され、4月以降にやらなければならないことが増えてその後輩は大変そうだ。しかも、私も他にそれなりに大きい役割を与えられてしまったため、なかなか後輩のフォローができない。

しかし後輩は前向きに勉強していて、その姿勢は素晴らしい。なんとなく忘れっぽい気がするが、それは「0⇒100」の作業を行っているからで、「80⇒95」の作業を行っている私がとやかく言うことではない。

おそらく後一年程度で、十分に役割を果たせるところまで成長するだろう。それは向き不向きを超えた「与えられた役割とその大きさ」と「期待」が理解できているからだろうと思う。逆にいえば「与えられた役割とその大きさ」と「期待」を正しく伝えて評価することで、与えられた役割の遂行能力は上がっていくんじゃないだろうか。

まあ結論としては、「後輩に恵まれすぎていて、堕落しそう」な今日この頃であった。あべし。