信仰する事象へのパブリックな評価を求めることが信仰する事象の評価を下げる

特定の事象に対する、いわゆる信者と呼ばれる人々は、信仰する対象のシンボル的存在に対して、一般的な評価を上げるための工作を行いたがる。「何とか賞」を受賞させるため寄付金を積むとか、「何とか大学の名誉何とか」にさせるため寄付金を積むとか、「危機に対してこのような超指導力を発揮した」とかいう話を証人込みででっち上げたりする。
情報の収集が非常に容易になってしまった今日のような状況では、信者以外の人間の目には、その工作が非常に気持ち悪く映る。トップの勲章が多ければ多いほど、その組織が異常に見える。勲章の数が狂信者数に見えるからだ。
信者の人たちは、自らの行動が周りからどう見られているのかについて、もう少し自覚的になったほうがよい。勲章のコレクションを画策することは「信者にとっては」カリスマ性を高める効果があるかもしれないが、「信者以外にとっては」嫌悪の対象になる。そしてこの世に存在する「信者」と「それ以外」では圧倒的に「それ以外」が多く、名声を高めるために行ったことが、世間一般から見れば嫌悪の対象となるのだ。