システム構築への想像力の無さはどこに起因するのか

今、この世に瀬戸大橋が全く無いものと仮定する。瀬戸大橋を来年三月までに作れという命令があった場合、それが不可能なことは誰にでも容易に想像がつく。たとえ一億人集めても、100兆円集めても無駄だ。小学生以下でもない限り、このことに意義を唱える人はいないであろう。これは、建築というものに対して、日ごろ少なからず情報を得る場面が多いからだろう。近所で小規模な建築工程を見る場面は多いだろうし、テレビで大規模な建築工程を見ることもある。そこから、どの程度の時間がかかるものなのか創造することは難しくない。

http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/200707060031a.nwcメッセージ

来年3月までに5000万件のデータ処理を行うという政府の発表があった。システム業界の人はそれが可能であるとは思っていない。なぜなら、システム構築がどの程度時間がかかるものなのか、業界の人なら自分自身の経験から想像することが可能であるし、システム構築の生産性が費やしたリソースにかかわらず、ある一定以上上昇しない(逆に人の管理が煩雑になってしまい生産性が落ちる)ことを知っているからだ。

想像力には制約がある。人は持っている知識・それから得た知識を材料としてしか想像できない。生まれつき目が全く見えない人に光は想像できない。

コンピュータシステムというものは社会の基盤でありながら、そこで実際何が行われているのかは、実はシステム業界にかかわっている人しか知らない。コンピュータシステムへの知識は両極端であって、標準偏差に全く従わない。実現可能性について疑う声がそれほど高くないのはそのためだろう。